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ここのところの日本はある意味で無政府状態と言える。
政権与党の重鎮から総理大臣の批判ではなく辞めろとハッキリと公言するわ、内閣内からも早く辞めろという意見が続出している。しかもご本人は次の政策やその次の日本のあり方などをまことしやかに述べられている。
これを見て今の日本に政治空白と言うよりも無政府状態と表現する方が意を得ているのではないだろうか。
ではなぜ管ではダメなのかここで整理しておく必要がある。
まず第一に挙げられるのは彼の思想形態が社会主義を中心とした革新派であるということだろう。
彼の政治生活の根幹はここで以前にも述べたようにあの極左ばあさん市川房江の愛弟子なのだ。極左ばあさんが活躍していたのはもう日本史の世界での事なのである。国民の大半があの頃とは比べ物にならないような裕福な生活をして、社会構成やその細胞が全く変わってきていると言う事だ。
そして当時の社会主義と言うものは第二次世界大戦後雨後のタケノコのように林立した貧しい者を救済するとした共産主義の成れのはてである。言わば権力や富に対する抵抗がその根幹を成していた。それが彼の根幹にある以上一国の総理としては最も不適格な人材と言える。
この中央や権力に対抗して来た革新の血が体内に流れている以上、おぼっちゃま億万長者の鳩ポッポくんやイオングループのトップの岡田幹事長などとうまくいくわけなどないのである。ただこれは彼の責任ではないのでこのあたりでおいておく。
第二には知能は高いが統率力や求心力など皆無という人間性にある。
政治と言うものを振り返ってみるとその時代に即応した考え方とこの人について行ったら概ね大丈夫だという安心感や希望が持てるような政策をすることが根幹に無ければならない。時代は高度成長を遂げる目的で国民全員が働いていた昭和30年代の池田隼人、バブル景気の元にはなったものの国民に希望を与えなお且つその伝え方(演説)が巧妙だった田中角栄・小泉純一郎などは圧倒的な国民の支持を得た。
政策の善悪はこの際意味が異なるので述べないが、誰もがテレビに映る総理をみてこの人ならと言う安心感があった。これが皆無の人が一国の総理になどなってはいけないのである。
第三には意外に無能だったということだ。
逆に言えることは現在の状態のように孤立無援していたら何もできないと言うのが通り相場なのだが、意外にも反対の勢力ばかりで自分の周りで諭す人もいないと言う事はやりたい放題も可能だと言うことである。
これは一つ例を上げて見ると震災の被害者に一律一時金として100万円を即刻支払うと言うようなことも可能なのだ。いっても一国の最高権力者であり今は国家が未曾有の災難の時期である。たぶん国民の大半は賛成に回るだろう。ただ彼もそれはやっている。でもその全てが世の中の動きと歯車がかみ合っていない。脱原発などその最たるものだろう。脱原発は国民の承認を得ているとは言え、それは将来のことになる。今この夏を乗り切るための政策が見えていない。海江田大臣との意思の疎通が取れていないこともこれをみれば大変よくわかる。これを無能と言わずしてどう表現したらいいのだろう。
管さんの総理としての資格が無いと言う事は概ねこの三点だと思う。
我々日本国民は2年前に大きな大きな間違いを犯してしまった。
そのツケが今回ってきている。鳩ポッポと赤化管に日本を最低の国にされてしまった。
今我々国民は外交・防衛・経済と大きな問題を抱え、日本の心臓とも言える製造業があえいでいることを本当に心配している。この国難に対応するには政局ではなくて政策を中心として大きな政界再編が必要となっている。
エースの登場を期待して止まない。
今度の東北関東大震災は未だかつて日本人が経験したことのない未曾有の大自然災害となった。これを記している現在も東京電力第一発電所の事態は急速に悪化しており、今後どのような大事故に陥るかも不透明な状況と思われます。
この件にはまた触れるとして、今日は過去の閣僚の発言の中から今回の大災害を通して見えてくるものを書き記して行きたいと考えている。
今回の大災害にはどこからどのように手をつけたら良いのかわからない呆然とする事態の中で、各国の救助隊や支援物資が暖かい手のように差し伸べられている。まだ自国も傷ついているニュージーランドの救助隊も駆けつけてくれた。アメリカなどは原子力空母まで出動させていろんな目的のために救助の手を差し伸べてくれている。もちろん我が国の自衛隊も10万人から倍の20万人まで数を増やしていろんな活動に奔走している。
この事実を見て全国民は数か月前の官房長官の発言を覚えているだろうか。自衛隊の事を称して『暴力装置』と発言したのだ。もちろんそれは失言として謝罪して取り消されたのだが、平素思っているから思わず知れず口をついて出たセリフなのだと思う。つまりは仙石の頭の中にはそれを常識として認定しているのだ。でなければそのセリフが国会の中で失言として出るはずがない。バカヤローとか一時の興奮で出た言葉ではないのだ。彼の心の中には自衛隊はそのように認識理解していたのでなければあれだけスムースにでることはないだろう。
菅と仙石と言えば市川房江の一番弟子で旧社会党の中でも極左の思想を持つ輩である。鉢巻きやデモ行進でアジテーターが一番似合う。労働組合が政府を支えるこの矛盾の原点を作りだした張本人なのだ。
被災地で吹雪の中を捜索する自衛隊員の姿を見てもまだ彼は暴力装置と呼ぶのだろうか。今回の自然災害は突発的なことで彼は我が知りえぬことだと言うかも知れないが数年前には阪神大震災が日本を襲っているのだ。あの時も全国の警察官・自衛隊の出動が無かったら寒空にもっと犠牲者は出ていただろうと思われる。軍隊は戦争をすることも任務の一つだが自国の国民を守ると言う観点から災害復旧もその大きな任務の一つなのだ。
彼らが任務で使用する簡易の風呂があった。任務先ででの風呂なのだろう。組み立て式で建屋のようにしっかりとした作りだったことを思い出す。
日夜訓練をして最高の体力と最高の装備を駆使して、国民の危機に立ち向かうのが義務なのだ。それを仙石は暴力装置とのたまわれた。今どうしているのかわからないがこの言葉をどうとらえているのだろうか。一度聞いてみたいものである。
物資はあるのだが運ぶ手段がない。テレビ局のクルーが入っている避難所に自衛隊の救助が来ない。
テレビ局のカメラが入れると言う事は、誰でも車さえあれば行けると言う事なのだから命令さえあれば即自衛隊が出動することは可能だろう。
指示命令系統が全く統一されていないこの事態をどう考えるか。
首都東京があえいでいる。今こそ能力のある政治家が強烈なリーダーシップを以ってこの国難に臨むべきではないだろうか。
ここのところテレビや新聞のニュースはこの件で埋まっている。
無理もない、1300年の歴史の中で未曾有の惨事と言ってよいだろうからだ。
メガネ和尚は自分なりに再生に向かって進むにはこれしかないというような素人ではあるものの、方法を模索してみた。
まず最初にメガネ和尚の八百長に対する私案はというと、これは事実だったろうと思うし大半の力士たちが関与したり経験した人達ばかりだと思われる。元力士の板井氏は80%が八百長だとも言いきった。
団体スポーツならいざ知らず、この個人競技にはどのような競技にもその疑惑はついてまわるだろう。なぜなら本当のことは個人の胸の内にしかないからである。人の心の中に他人が入って行くことなど不可能ということはやりやすいしわかりにくいという面を持ち合せている。
ましてやこの一番で100万円の月給が飛んでしまうとなればなおさらだろう。これも二人だけの相談で簡単にできてしまうし、勝負事はやってみないとわからないという生来持ち合せている醍醐味もある。
このような中で過去に経験のある親方衆がどのような手段を持ってしても改革など不可能だ。犯罪者が犯罪者を裁くのだから愚の骨頂である。
そこでもし再生と言うのがあるとすればそれは一時日本相撲協会と言うものを解散してしまうことだ。
ここまでしないと国民は納得しないだろうし、次の世代につなげていくことが出来ないと考えられる。
もちろん多少の暴論であることは認めるが、心に中にあるものまで裁くと言うならこれしか方法がないと思う。一時解散して社会奉仕をするか全く別の職業につくかして生活を続け、本当に相撲がやりたいと思う力士だけこの辛酸を嘗めつくして後に再び土俵への道を新しい協会の手によってなされるのが肝要かと考える。
もちろんこれには現協会の持つ動産不動産の財産もある。これに関しては所管する文科省が一時預かって管理し、再開の時にこれを新しい協会に与えるということでいいだろう。
もちろん八百長をしていない力士もいることは確かだろう。でもそれをどのような方法で振り分けるというのだろうか。携帯電話の提出を求められたら奥さんが踏んづけたという力士まで出現する始末なのだ。もはや何の同情も必要ないだろう。疑わしくはクロという感覚で臨まないと国民の怒りどころか近い将来には閑古鳥の鳴く国技館になってしまうだろう。まるでやっと取った政権にしがみついて日和見的に何回も方向転換している政党のようだ。今解散総選挙をすれば民主党は100の議席がやっとかなという状況と言う。日本相撲協会もここが本腰の入れどころだろう。
そしてこの案がもし実行されるとするならば、これは協会側からの発案と言うことにした方が効果は絶大だろう。まさに自浄作用というのはこう言うことを指していうのだろうと思っている。
君たちは特別の人達ではないのだ。我々と同じ国民で日本は法治国家であって皆その恩恵を受けているのである。
1年と言う期間はアスリートにとって致命的な時間である。元の筋肉に戻すには不可能と思われるところもある。でも今これをしないと維持している筋肉の使い場所が無いのも事実なのだ。
八百長と言う心の病は法律の外側を闊歩し、なお且つジワジワと命を蝕んで行く。
今こそ膿を出し切るというならばこのような大手術が不可欠と思う。
長いこと休んでました。
この政治のカテゴリーも書く気がしませんでした。
でもあまりに長く休んでいると見てもらえなくなると思って今までの思いを一気に書こうと思い立った次第です。
今の気持ちを一言で言うと、やるせないいら立ちとあきらめに似た危機感を同時に感じますね。
今日のブログは大きく分けて二つの項目について述べて見たいと思っています。一つは大きな政局の問題、今一つはやはり尖閣諸島の問題です。
この二つは当然政府のやる事ですからリンクはしていますが尖閣については詳細に述べて見たいからあえて項目に上げた次第です。
話は基礎としてこの尖閣の問題が全てに基因している関係上、このことから述べて見たいと思います。
まずあれだけのことをしてきた船長をなぜ釈放したかと言うことに尽きると思います。もう今となっては裁判で有罪になってもどうしようもできないということですね。この稚拙な赤化内閣が考えそうなことだと言ってしまえばお終いですが、この尖閣の問題はこの内閣を知る上で窓の役割を果たしていると考えられます。
管と仙石は元々旧社会党の市川房江の弟子です。しかも旧社会党の左派です。鉢巻と赤い旗を振ってデモ行進している姿の方がより似合っている彼らが政府を作っているのだから当然と言えば当然と言えるのですが、1年少し前に国民は大きな間違いを犯してしまったのです。しかも最近の新聞では検察主導と言っていたにもかかわらずやはりと言ってよい仙石主導の釈放だったと報じられています。それも自らの内閣が議長を務める国際会議に中国の主席を呼びたいがためだけの、全くの党利党略だけの個人主義と言ってよい行いでしたね。自衛隊暴力集団発言も普段から思っているからこそあのように失言として露見するのです。まさにこれを売国奴以外のことばでは表現できません。
国家の安全保障をどのように考えているのでしょうかと問いかけたくなる。
ここにも書きましたが、下校途中の女子中学生をドンゴロスの袋に詰め込んで拉致していくという暴力集団国家が核を持ち、なお且つ他国に砲弾を打ち込むことまでしています。このことに現行憲法は無力なのですよ。アメリカとの安全保障条約が無ければ広島・長崎が再現するのです。このことにもっと責任を負わなければならない官房長官がこの発言です。今の日本は危機的状態にあると考えています。
平和憲法とかいうものに戦後65年間もぬるま湯に浸かっている間に平和ボケしてしまったのですね。その間に世界の情勢は大きく変わってしまったのにです。
いずれこの内閣は破綻しますが、その時に我が国の国際社会における立つ位置がどのようになっているかが一番の問題でしょう。そりゃそうですよね労働組合が政府になったのだから当然と言えば当然です。今まで一年間の民主党の迷走はもう腹が立つより滑稽に見えます。外交上の信用など地に落ちてしまいました。まるで幼稚園児が背広を着てオフィス街を闊歩しているという違和感を思えます。
思えばこれもここに書いたのですが、小沢と管が手を組んだ映像が合併の時に流れました。無茶苦茶違和感を覚えたものです。
さてこれを踏まえて政局の話に行きましょう。
今の民主党は完全に二つの相反する集団で構成されている状態です。もちろん自民党も過去にはそうでした。しかし決定的に違うのは時代環境です。戦後の復興と言う大前提にどちらの組も自らの言い分をある程度抑えつつ国民のために、或るいは国家のために邁進していました。ところが今の民主党はどうでしょうか。円高・株価下落などあっち向いてホイってな感じです。野党時代に言っていたことと現行の政策に全くの整合性がありません。拾い上げればキリがありませんが、企業献金の問題などはその最たるものです。
この二つの集団とは自民党系の小沢派と赤化内閣派であることは言うまでもありません。
この二つの集団は間もなく割れてしまいますがその後の政局が一番の問題になりますね。普天間問題などこの一年少しの間に振り回してきた人や集団にはこれを収めきれないと思います。完全なウソつきですから選挙は戦えません。とするならば小沢派を中心とした自民党の中堅と保守合同しかないと思われます。
ここでも述べたなぜ沖縄じゃないといけないのかと最初からぶれていない自民党の誰かが内閣を組織しない限りこれは収まらないでしょう。沖縄の人たちに話しすらできない状態ですよ。そりゃそうでしょう時の総理大臣が最悪でも県外と言って当選したのですよ。その党に在籍した者は総理になれないでしょう。なぜならばなってもウソツキ集団の一人というイメージが付きまといますからね。
例えば総理は石破さんとかで自民党と小沢派が半々くらいの内閣で無いともうこの日本は救えないと考えます。過去に政権に参与して政府・内閣と言うものはこうしなければいけないのだというノウハウを持った人でないといけないでしょうね。
国民の多くは毎日の暮らしは良くして欲しいが大きな変化は望んでいないと思われます。
早く保守合同をして安定した政局になって外交問題・経済問題・国内問題に取り組んでほしいものです。
最後になりましたがこれだけ長い間休んでいたのは、ここに管内閣には期待すると書いたからです。
これほど見事に裏切られるとは思ってもみなかったな。厚生労働大臣の時のあの迫力など今は全く消えて仙石のペットになり下がってしまったからです。
自らを恥じていました。
いよいよ次の総理大臣を選ぶ選挙がたけなわとなって来た。
メガネ和尚はこの選挙を通じてどちらが勝つと言うよりもこの選挙を通じて見えて来たもの、或いはこの後どうなるかと言うことをそれなりに述べて見たい。
まず驚いたことが一つある。
それはつい何カ月か前に引責辞任して党の支持率がV字回復した張本人に現在のところ約半数の国会議員が支持に回っているということだ。また場合によっては起訴も含めて微妙な立場に居ることも確かなのである。その人間に世論はともかく現職の国会議員の半数が支持している。これをどう見るかである。
これは言わずもがな左翼政権では困るという国会議員の集団意識と言うものが大勢を占めていると言っていいだろう。菅・仙石なんてのは元々労働組合のイケイケ隊長だった。何でも反対旧社会党の闘士だったのである。この輩が一国の総理と官房長官になっているのだから健全な保守派が立ち上がった結果だろうと考えられる。たった三カ月だから今のところ目立った赤化政策は取っていないものの、このままではクリーンな政治の言葉の裏でそのような政策が取られて行くことは間違いのないところだろう。
でないと現在の小沢にあれだけの国会議員がついて行くはずもない。つい三カ月前にベンチから退場したところなのだ。この選挙はわかりやすく言えば巨人と阪神のどちらかだろうと言う選挙である。元々の自民党でも総裁選挙はあった。ただこの選挙は4番バッターが金本か新井か或いはブラゼルかという選挙だった。誰でもちゃんと打って4番の重責を果たせば良いのだ。行く道筋は一つだが新幹線で行くか飛行機で行くかという選挙である。今回のこの選挙は巨人か阪神かという天下分け目の戦いである。東京に行くか福岡に行くかという全く今までとは異なる世界への誘いなのだ。それにノーを突きつけたセンセイ方が現在の小沢支持の中核を成していると思っている。
議論の構築はこうだ。
菅では絶対にダメだ。だとしたら誰が居る。対抗馬として現実的に完膚無きまでに赤化思想を叩き潰せる人は彼しかいないということになってくる。そこに異常な円高・株安が追い風になって彼ならなんとかしてくれるという希望感が人の心をつかんだと思っている。田中角栄さんでさえ無所属で裏で糸を引いていたのに彼は堂々と表門から入ろうとしている。いやそうせざるを得なくなったのだ。長年の自民党の体たらくで昨年の夏に政権をとんでもない集団に手渡してしまった馬鹿な国民の結果がこうなってしまった。自浄作用の一つでなないだろうか。
さてどちらが勝つにしてもその人が長期政権を維持していくことは不可能だろうし、ここまで組織を二分して死闘を繰り広げた集団が一緒にやれるはずがないと思っている。ストライキでは鉢巻をまいて先頭に立っていた人が挙党一致などとどの口が言っているのだろうと思う。ここまで一応現職の総理にノーを突きつけ、或いは対抗馬にあたかも犯罪者のような印象を与える発言をして事が終われば仲良く一緒にとはまずいかないだろう。まさに新井か金本かではなくて阪神か巨人かという根本的な問題に発展していくだろう。
ここからはメガネ和尚の願いだが、中堅の保守派の議員が合同となって新しい政党を作って歩んで行って欲しいと願う。具体的に例を上げれば民主党では前原くんや地元選出の梶原くん、自民党で言えば河野くんや石破くんなどが上げられるだろう。実際に森さんや伊吹さんの時代ではないことも確かである。
最後に誤解のないように一つ説明を加えておく。菅や仙石が労働組合出身だと叩いてきたが小沢も支持母体は労働組合である。ただ政権を或いは甘い汁を吸うために話に乗ったことと鉢巻組はおのずと根本的にイデオロギーの違いがある。菅や仙石では日本を全く違う所へ持って行かれる恐怖があるのだ。
これからの戦いと結果を興味深く監視していきたいと思っている。
今年も広島と長崎の原爆投下の日が過ぎ、終戦記念日が近づいている。
特に長崎と広島の日にはマスコミはこぞってその報道に終始している。
それはそれでいいのだが、ただ何となく彼らの好みで彼らに都合よくしか報道されていないのではないかと思う。
特に長崎市長の挨拶を聞いていると本当に彼はそう思って言っているのか疑わしくなってくるのだ。ただそう言っているのは彼だけではない。オバマ大統領も会場に現れたイギリスやフランスの代表者も国連の事務総長も同じことを言っている。でも長崎市長と彼らは大きく違う。それは長崎市長は被爆者の票で当選して市長になっているのだ。遠いアメリカやヨーロッパの国の人とは立場も何もかも大きく違う。
でもその彼ら全てを含んで何と責任感の無いことばだろうと思ってしまう。この地球から核爆弾を廃絶すると言う実にきれいな言葉だが本当に実現すると思っているのだろうか。思っているなら本当の馬鹿だし思っていなくて言葉だけを発しているとするならばこれほど日本の国民を侮辱したことはないと思われる。長崎市長など前述の理由で国家的裏切り者であり偽善者である。
核というから話が大きくなりすぎてわからなくなっている。これを警官のピストルと置き換えて見るとよくわかるだろう。ご存知のようにピストルは兇器にもなれば悪の力から正義を守る道具にもなる。警察官の制服とピストルは犯罪の抑止力にもなる。核もまた同じなのだ。
今から各国が競って核爆弾を作るのなら彼らの話もわかる。しかし現在は何万発と言う核爆弾が世界中にあふれているこの現代では、それを最初に誰が捨てるかなんて話がどうして成立すると言うのだ。
愚かな人間は中国をはじめとして二酸化炭素の排出に素知らぬ顔だ。核にもこの原理が当てはまる。
しかも現代では東西冷戦の代わりにテロの国家や集団が横行している。世界の警察と言うアメリカでさえ手を焼いている上に、彼らの標的はアメリカを初めとするユダヤと先進国なのだ。まるでヤクザと警察の抗争と同じではないか。ヤクザが持っているのはせいぜい拳銃だ。しかし彼らが自動小銃やバズーカ砲や核を持たないと言う保証などどこにも無いのである。その中での核廃絶は世界のパワーバランスに大きく影響するだろう。
そんなことがもし起こったら長崎市長はどう釈明するつもりなのか機会があったら聞いてみたいものだ。
結論を書こう。
核廃絶、或いは戦争回避は私も大きな目的であり願いだ。しかし地球の上では局地戦はテロを中心として未だ衰える所ではないし、印パのように国家間の戦略に利用している国もある。まず世界の覇者と自負するならアメリカがこういう国家間の利害やテロに対して敢然と立ち向かい解決することが先決なのではないだろうか。その上同じ目的をもって進んでいく国家に武器など必要ないから段階を踏んで削減していくという方法が原理原則であろう。
そういうことを無視してただ何でもかんでも核廃絶と歌いまくることは誰の心も打たないのではないかと思う。これから地球がどこに向かって進んでいくのかはわからないが、世界のサーモマップで中国とインドは真っ赤であるし、アメリカも批准していない。核廃絶の前に地球が滅亡するかも知れないのだ。
地球が滅亡しかけていても彼らはまだそんなことを言っているのだろうか。
本当に人間とは愚かな生き物だと痛感する。
管直人政権が誕生した。
一気に政界の風向きも変わって高い支持率を誇示している。
拙僧は長年の自民党員である。しかしこの政権にはある種の期待感を持って見ている。というのも現在の日本で総理大臣になれる貫禄や押し出しのある人はそういない。そしてそれを支える党員にまたそれだけの貫禄のある人と言えば、各条件を備えているのはこの人だけだ。
例を上げれば石破さんなどは私の押す総理大臣候補の一人だが、哀しくも同党にそれを支えて各大臣の職責を全うできる人材が無い。
つまりは管さんに頼るしか今の国民には選択の余地がないのである。
しかしこの政権はかなり期待度もある。
まず長年の政官癒着の権化だった方々がもう政府内にはいないのである。つまりは官僚に対してしがらみのある人がいないということは、事業仕分けなどを見てもわかるように堂々と新しいことに着手できる立場にあるのだ。
私が民主党が嫌いなわけは野合だったからだ。金権腐敗の権化である自民党田中派の重鎮と横路衆議院議長をはじめとする極左の勢力が政権と言う甘い汁を吸うために合流したと言うイメージがあった。石井一氏など手のひらを返したように長年お世話になった自民党に反旗を翻してきた。この節操の無さにはあきれたものだ。前鳩山政権はそれを色濃く残していた。
自民党政権下でも前原くん以下の新勢力、元々の民主党の諸君には私は大きな期待を持って見ていた。市民リーダーとはうまく言ったもので、管さんは旧社会党の流れをくむ人と言うこと以外に気に障ることはない。
大いに期待感を持って見ている。
ただ最初にも言った通りに経済や外交の力は未知数である。彼しか見当たらないという状況の中での政権だ。霞が関アホ発言の彼が今や優秀な官僚にはお手伝い云々とも言ってのけた。これは評判は悪いようだが私は少し違っている。労働組合などの何でも反対姿勢が大きく変わってきたからだ。労働組合は労働者の権利と義務を守ると同時に会社にとって獅子身中の虫になりかねない双刃の刃である。その委員長が大きく考え方を変えてきたということは本気なのだというとらえ方ができる。
じっくりと政権の行く手を見極めて、また評論したいと思っている。
社民党の福島党首が罷免された。
大臣としての署名をしなかったからである。
今回は彼女の行動と社民党の行動を比較しながらコメントをしていきたいと考えている。
まずはタイトル通りこれで良かったと私は思っているし、またこの方法しか社民党に道は無かったと考えている。
思い起こせば社民党の前身である旧社会党が自民党と連立を組んでほとんど死んでしまった過去の例がある。当時は毒まんじゅうを食ったと論評されていたことが重なって来る。
元々当時でも今回のと同じようにいずれはイデオロギーで衝突は避けられない民主党と社民党なのだ。外交や防衛、改憲問題と両党はほぼ同じ所はないぐらいの党なのである。いずれ改憲問題では今回のような問題が生じてくることは否めなかった。
ここで社民党が閣内に残れば以前の社会党の二の舞になることは確実である。政権与党ではなくなって何一つ決めることはできなくなるが、反面今回のこの離脱は社民党としては多くの国民の賛同を得られると思う。つまりは今回の参議院選挙にはそれなりの結果を残せるだろうと考えられる。政権与党としての立場は失うが党は残ると言うことになるだろう。
どう考えても党が死んでしまえば与党もくそもないのだから、事実上こうするより方法は無かったしこれは私としてもよくやったと思っている。
しかしここでも何回も述べているように基地は沖縄でなければいけないのだ。自民党政権とアメリカと地元沖縄の方々が薄皮を剥ぐように断腸の思いで辺野古という地を選択した。この外交防衛の接点を避けている社民党の考え方はもう国内はもとより世界で通用しなくなっている。
これしか方法は無いと申し上げたが、これから先も無いと言わざるを得ないのだ。
最後に今日(29日)付けの毎日新聞の一面左上に書かれてあった記事が今回の一連の普天間問題を総括していると思う。私の所は兵庫北部版だから全国的に見れば記事の位置は違ってくるだろうけど一読するとすぐにわかるので一度目を通して欲しい。
絵にかいたような愚行政治が繰り広げられた沖縄でちょっと意外な光景を見た。
普天間の小学校で聴衆の女性だろう、鳩山くんに詰め寄るシーンがあった。
これには二つの意味で大きな驚きを覚えたのだが、それは後で書こう。
ここではその時の彼の驚きと困惑の目が忘れられない。
おそらくは彼の生涯で家族以外の人に詰め寄られるという光景は、生まれて初めての経験だったに違いない。
生まれて初めて見る光景に彼は困惑し驚いたのである。
まさかいくら宇宙人でも新聞は読むだろうしテレビも見るだろう。側近から現状の報告も受けているだろう。でも彼の物差しは一般国民や周りを警備するSPの警察官とも大きく乖離している。その理由はここでも何度も述べてきたから繰り返さないが、あの驚きの目はそれを如実に物語っている。
この1シーンが彼の総理としての資質に欠ける一番の大きな点だろう。
一寸と言う人と1cmと言う人とは永久にその違いを理解しない限り融合理解と言うことはあり得ないのである。
もう一つ例をあげれば月に何千万円ものお小遣いをもらっていることを、「こういう家庭に育ったものですから!」とバッサリ切り落とされたら国民は次の言葉をどう発すればいいのだろうか。
今回の出来事の要因の一つはそのままの感覚で国事に当たったことがあげられる。
お気の毒と言うほかは無い。
二つの驚きとはこの女性が詰め寄った瞬間のSPの対応である。
一つはその警護の緩慢さだろう。例えばあれが屈強な男性か学生とみられる人だったらウンも言わさずその場に押し倒されたことだろうと思う。
レーガン大統領が打たれた時のように何人ものSPが折重なるように屈伏すだろう。私が言いたいのは相手が女性だからとするこの甘さである。
例え女性だろうとその時に武器を持っているかも知れない。火器を発するかも知れない。彼らはそう訓練されているはずである。
今一つはその警護自体の手薄さだ。テレビで見たところ鳩山くんの正面には2・3人のSPしかいなかった。だからこそこの女性も鳩山くんの目の前まで行けたのだ。
先進国家としてはおそまつとしか言いようが無い警備体制だった。
しかも行ったタイミングは最悪だったと鳩山くん自身が発するほど平時の訪問とは異なったはずなのにね。
平和ボケとしか言いようのない集団だったな。
もちろんこれは揶揄である。
ただわかりきってはいるものの、この人の困っている姿は何となくかわいくて助けてやりたくなるのも事実でしょう。
目が澄んでいて少年のようですもんね。
もう国民のほとんどは彼を総理大臣とは思っていないでしょうから。
今夜は普天間について書いてみたい。
現在の迷走は政権と言う甘い蜜を何が何でも吸いたいがために悪友のそそのかしで、時の政権政党と正反対のことを言っただけのことなのですから。
彼らが熟成した政治家集団だったら取った時のことを少しは考えて、もう少し言外にほのめかすとかぼかして言っておけば良かったと思う。
しかし沖縄の皆さんには叱られるかも知れないが前政権で言ってきた『なぜ沖縄なのだ!』ということをもっとハッキリと説明すべきだったのでしょう。
まず日米安保条約で決められているきまりを全く無視して、まるで沖縄の皆さんの関心を買うためだけに媚びおもねった結果がこれである。
核を保有しようとしている拉致国家と反日が政策の第一歩と思っているこれまた核を大量に保有する国家がすぐ隣にあるのである。ボンクラ憲法とは言うものの、現行憲法がある限り抑止力としてアメリカは最大にして最高の同盟国なのである。グァムやサイパンでは遠すぎるし、海兵隊を運ぶ基地が部隊の居る場所より何百キロも離れた徳之島では有事の際の動きが沖縄と比べて問題にならないのだ。
キャンプシュワブ沖に決まったのもそういういきさつも踏まえて断腸の思いであったろうと思われる。
それをこの問題には何も触れずしてただ沖縄の皆さんの関心を買うためだけのような、県外移設などと大風呂敷を或いは大ボラを吹いたがための窮地なのである。
自業自得であることは言うまでもない。