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今年も広島と長崎の原爆投下の日が過ぎ、終戦記念日が近づいている。
特に長崎と広島の日にはマスコミはこぞってその報道に終始している。
それはそれでいいのだが、ただ何となく彼らの好みで彼らに都合よくしか報道されていないのではないかと思う。
特に長崎市長の挨拶を聞いていると本当に彼はそう思って言っているのか疑わしくなってくるのだ。ただそう言っているのは彼だけではない。オバマ大統領も会場に現れたイギリスやフランスの代表者も国連の事務総長も同じことを言っている。でも長崎市長と彼らは大きく違う。それは長崎市長は被爆者の票で当選して市長になっているのだ。遠いアメリカやヨーロッパの国の人とは立場も何もかも大きく違う。
でもその彼ら全てを含んで何と責任感の無いことばだろうと思ってしまう。この地球から核爆弾を廃絶すると言う実にきれいな言葉だが本当に実現すると思っているのだろうか。思っているなら本当の馬鹿だし思っていなくて言葉だけを発しているとするならばこれほど日本の国民を侮辱したことはないと思われる。長崎市長など前述の理由で国家的裏切り者であり偽善者である。
核というから話が大きくなりすぎてわからなくなっている。これを警官のピストルと置き換えて見るとよくわかるだろう。ご存知のようにピストルは兇器にもなれば悪の力から正義を守る道具にもなる。警察官の制服とピストルは犯罪の抑止力にもなる。核もまた同じなのだ。
今から各国が競って核爆弾を作るのなら彼らの話もわかる。しかし現在は何万発と言う核爆弾が世界中にあふれているこの現代では、それを最初に誰が捨てるかなんて話がどうして成立すると言うのだ。
愚かな人間は中国をはじめとして二酸化炭素の排出に素知らぬ顔だ。核にもこの原理が当てはまる。
しかも現代では東西冷戦の代わりにテロの国家や集団が横行している。世界の警察と言うアメリカでさえ手を焼いている上に、彼らの標的はアメリカを初めとするユダヤと先進国なのだ。まるでヤクザと警察の抗争と同じではないか。ヤクザが持っているのはせいぜい拳銃だ。しかし彼らが自動小銃やバズーカ砲や核を持たないと言う保証などどこにも無いのである。その中での核廃絶は世界のパワーバランスに大きく影響するだろう。
そんなことがもし起こったら長崎市長はどう釈明するつもりなのか機会があったら聞いてみたいものだ。
結論を書こう。
核廃絶、或いは戦争回避は私も大きな目的であり願いだ。しかし地球の上では局地戦はテロを中心として未だ衰える所ではないし、印パのように国家間の戦略に利用している国もある。まず世界の覇者と自負するならアメリカがこういう国家間の利害やテロに対して敢然と立ち向かい解決することが先決なのではないだろうか。その上同じ目的をもって進んでいく国家に武器など必要ないから段階を踏んで削減していくという方法が原理原則であろう。
そういうことを無視してただ何でもかんでも核廃絶と歌いまくることは誰の心も打たないのではないかと思う。これから地球がどこに向かって進んでいくのかはわからないが、世界のサーモマップで中国とインドは真っ赤であるし、アメリカも批准していない。核廃絶の前に地球が滅亡するかも知れないのだ。
地球が滅亡しかけていても彼らはまだそんなことを言っているのだろうか。
本当に人間とは愚かな生き物だと痛感する。