和尚が申す

月別アーカイブ: 2019年9月

日本人最高のアスリート3人!

まずその3人とはイチロー・羽生結弦そして今一人と言うかリオ4×100mリレーの四人を上げることができる。過去にも素晴らしいアスリートはいたと思うがメガネ和尚としてはこの3人をビッグスリーと言うべきだろうと思う。

まずイチローはここにも最高の日本人として紹介していると共に、数々の栄光と共に長きに渡って本場で活躍したことは周知の事実である。そしてWBCにおいては全て日の丸を背負って出場して結果まで出している。ここが松井などが及ばないところだろう。そして輝かしい年回最多安打の新記録も打ち立て、日本野球をアメリカに浸透させていった功績も大きい。まずは第一にこれを上げなければならないだろう。

そして二人目はやはりオリンピック二連覇の羽生弓弦くんだろうと思う。オレインピックの連覇ほど難しいことはないであろうと思う。しかも二回目の金メダルは目標にされてプレッシャーに押しつぶされるようなところでの連覇だったのには頭が下がる。そして四年に一回の大会にしっかりと正順を合わせてのトレーニングのマックスを持って来たというところである。イチローもそうだが個人の管理能力が全て整っているとしか言えない。

そして3人目は団体であるがリレーメンバーに上げたいと思う。覚えているだろうか、レース直後ゴールしたボルト一番に駆け寄ってきたことを。彼にして口をついて出た言葉が「ゴッドハンド」というものだった。彼にしてみれば3回それを見たはずだ、それでも日本チームのバトンパスは見えなかったのである。恐らく真面に戦えばこの段階では3位だっただろう、しかしアメリカの失格は実に焦ってこけてしまったのだのが原因だった。それもこれも見事なまでのバトンパスだった。お家芸と言われるまでも無いだろう。

ちなみにこれが最高のアスリートだったとしたら最低のアスリートもいる。

それはお母さんが危篤だといって帰国して間に合わなかったにもかかわらず、もう一度を夢に見ようと国民を付き合わせた女子選手。そして何かとりつかれたようにレジェンドと呼ばれている二人。見世物になっているのがわからないのだろうか。哀れな3人である。引き際を間違えばこうなるという典型的な例だろう。

嫌韓内閣!

安倍内閣も既に6年も続くといったい何回目の内閣改造かと思う。

ただし今日思うのはそういうことではなくて、戦後75年余りでお隣の国だけではなく我が日本が世界にもの申す内閣に転じた記念すべき内閣だろうと思う。8月2日のあの宣言から実際にそういうことがなしえる内閣だろう。今までは自民党内閣であったが外国の言いなりの内閣だった。あの中曽根内閣でさえそうだった。いよいよあのボンクラ憲法を改正して対等の物を持てる国になろうとする意欲が感じられる。

そんな中まずやり玉に挙げられる代表はあの品位のない嘘つき国と数を頼むしかない隣の大国だろう。ものつくりの出来ない組み立てるのが大好きな国である。半導体の制度は緻密である。これは日本人だけが持ち得る特殊な技術である。その国の大統領は国内産でまかなえると豪語したがやれるものならやってみなさい。国が滅びるときは戦争ではなく経済である。あのソ連でさえレーガン大統領の経済政策で滅びてしまったことでも証明されている。ましてや国家予算が東京都とほぼ同じのお隣さんは消し飛んでしまうことは火を見るよりも明らかだろう。

そうなる目玉は河野太郎防衛大臣、そして今一人は茂木敏充外務大臣の二人がこのポストに就いたことだ。外交・軍事が整ってこその経済であるからだ。おそらく世界のGDPの第二位はその国ではなく日本だろう事から、我が国の経済は充実している。その充実した世界ランクの中でたった一つ大東亜戦争以後軍隊を持てない国にされてしまった。その改憲を実現させる第一歩の内閣であろう。阿部さんのアメリカを巻き込んでまずこの品位のない国に鉄槌を下す内閣である。

哀れなのはそういう国の大統領とその国民だろう。反日反日と叫びつつ渦の中に埋もれて行くんだろうな。そしてもっと哀れな人はそういう嫌韓内閣の色合いをより薄めるために、名子役を表に出したことだろう。お父さんのように間違ってはいたが求心力がないし、やっていることは子役程度の事に過ぎないと思う。

お久しぶり!

このコーナーも長い間休んでました。理由としては一番の原因は面倒くさくなって来たと言うところだろうか、ただやろうという気はあったもののきっかけがなかったことも大きな原因だろう。

ひょんなきっかけから始めることになったのだが、それはある日の電話だった。このHPをお願いしている会社の営業マンからの電話である。元々再開したいなと言うことはある思いがあったのだが、きっかけというものは本当に突然やってくるものなんだなと思ったな。

その再開したいという気持ちはやはり自分の思いをそれなりに発信していこうという気持ちが固まってきたからだった。それは超保守の私の思いを発信したいということである。要するに若干ではあるが世間体も考慮していたのをハッキリと色づけをしたいと思いもあったからだ。

ちょうど今日は阿部改造内閣の顔ぶれも出てきたところで、そのきっかけとしたいと思ったからである。