カテゴリー別アーカイブ: 社会

言葉の責任

言葉の責任

今度の東北関東大震災は未だかつて日本人が経験したことのない未曾有の大自然災害となった。これを記している現在も東京電力第一発電所の事態は急速に悪化しており、今後どのような大事故に陥るかも不透明な状況と思われます。

この件にはまた触れるとして、今日は過去の閣僚の発言の中から今回の大災害を通して見えてくるものを書き記して行きたいと考えている。

今回の大災害にはどこからどのように手をつけたら良いのかわからない呆然とする事態の中で、各国の救助隊や支援物資が暖かい手のように差し伸べられている。まだ自国も傷ついているニュージーランドの救助隊も駆けつけてくれた。アメリカなどは原子力空母まで出動させていろんな目的のために救助の手を差し伸べてくれている。もちろん我が国の自衛隊も10万人から倍の20万人まで数を増やしていろんな活動に奔走している。

この事実を見て全国民は数か月前の官房長官の発言を覚えているだろうか。自衛隊の事を称して『暴力装置』と発言したのだ。もちろんそれは失言として謝罪して取り消されたのだが、平素思っているから思わず知れず口をついて出たセリフなのだと思う。つまりは仙石の頭の中にはそれを常識として認定しているのだ。でなければそのセリフが国会の中で失言として出るはずがない。バカヤローとか一時の興奮で出た言葉ではないのだ。彼の心の中には自衛隊はそのように認識理解していたのでなければあれだけスムースにでることはないだろう。
菅と仙石と言えば市川房江の一番弟子で旧社会党の中でも極左の思想を持つ輩である。鉢巻きやデモ行進でアジテーターが一番似合う。労働組合が政府を支えるこの矛盾の原点を作りだした張本人なのだ。

被災地で吹雪の中を捜索する自衛隊員の姿を見てもまだ彼は暴力装置と呼ぶのだろうか。今回の自然災害は突発的なことで彼は我が知りえぬことだと言うかも知れないが数年前には阪神大震災が日本を襲っているのだ。あの時も全国の警察官・自衛隊の出動が無かったら寒空にもっと犠牲者は出ていただろうと思われる。軍隊は戦争をすることも任務の一つだが自国の国民を守ると言う観点から災害復旧もその大きな任務の一つなのだ。
彼らが任務で使用する簡易の風呂があった。任務先ででの風呂なのだろう。組み立て式で建屋のようにしっかりとした作りだったことを思い出す。
日夜訓練をして最高の体力と最高の装備を駆使して、国民の危機に立ち向かうのが義務なのだ。それを仙石は暴力装置とのたまわれた。今どうしているのかわからないがこの言葉をどうとらえているのだろうか。一度聞いてみたいものである。

物資はあるのだが運ぶ手段がない。テレビ局のクルーが入っている避難所に自衛隊の救助が来ない。
テレビ局のカメラが入れると言う事は、誰でも車さえあれば行けると言う事なのだから命令さえあれば即自衛隊が出動することは可能だろう。
指示命令系統が全く統一されていないこの事態をどう考えるか。
首都東京があえいでいる。今こそ能力のある政治家が強烈なリーダーシップを以ってこの国難に臨むべきではないだろうか。

こんな考えも!

こんな考えも!

今年も広島と長崎の原爆投下の日が過ぎ、終戦記念日が近づいている。
特に長崎と広島の日にはマスコミはこぞってその報道に終始している。
それはそれでいいのだが、ただ何となく彼らの好みで彼らに都合よくしか報道されていないのではないかと思う。
特に長崎市長の挨拶を聞いていると本当に彼はそう思って言っているのか疑わしくなってくるのだ。ただそう言っているのは彼だけではない。オバマ大統領も会場に現れたイギリスやフランスの代表者も国連の事務総長も同じことを言っている。でも長崎市長と彼らは大きく違う。それは長崎市長は被爆者の票で当選して市長になっているのだ。遠いアメリカやヨーロッパの国の人とは立場も何もかも大きく違う。

でもその彼ら全てを含んで何と責任感の無いことばだろうと思ってしまう。この地球から核爆弾を廃絶すると言う実にきれいな言葉だが本当に実現すると思っているのだろうか。思っているなら本当の馬鹿だし思っていなくて言葉だけを発しているとするならばこれほど日本の国民を侮辱したことはないと思われる。長崎市長など前述の理由で国家的裏切り者であり偽善者である。

核というから話が大きくなりすぎてわからなくなっている。これを警官のピストルと置き換えて見るとよくわかるだろう。ご存知のようにピストルは兇器にもなれば悪の力から正義を守る道具にもなる。警察官の制服とピストルは犯罪の抑止力にもなる。核もまた同じなのだ。
今から各国が競って核爆弾を作るのなら彼らの話もわかる。しかし現在は何万発と言う核爆弾が世界中にあふれているこの現代では、それを最初に誰が捨てるかなんて話がどうして成立すると言うのだ。
愚かな人間は中国をはじめとして二酸化炭素の排出に素知らぬ顔だ。核にもこの原理が当てはまる。
しかも現代では東西冷戦の代わりにテロの国家や集団が横行している。世界の警察と言うアメリカでさえ手を焼いている上に、彼らの標的はアメリカを初めとするユダヤと先進国なのだ。まるでヤクザと警察の抗争と同じではないか。ヤクザが持っているのはせいぜい拳銃だ。しかし彼らが自動小銃やバズーカ砲や核を持たないと言う保証などどこにも無いのである。その中での核廃絶は世界のパワーバランスに大きく影響するだろう。
そんなことがもし起こったら長崎市長はどう釈明するつもりなのか機会があったら聞いてみたいものだ。

結論を書こう。
核廃絶、或いは戦争回避は私も大きな目的であり願いだ。しかし地球の上では局地戦はテロを中心として未だ衰える所ではないし、印パのように国家間の戦略に利用している国もある。まず世界の覇者と自負するならアメリカがこういう国家間の利害やテロに対して敢然と立ち向かい解決することが先決なのではないだろうか。その上同じ目的をもって進んでいく国家に武器など必要ないから段階を踏んで削減していくという方法が原理原則であろう。

そういうことを無視してただ何でもかんでも核廃絶と歌いまくることは誰の心も打たないのではないかと思う。これから地球がどこに向かって進んでいくのかはわからないが、世界のサーモマップで中国とインドは真っ赤であるし、アメリカも批准していない。核廃絶の前に地球が滅亡するかも知れないのだ。
地球が滅亡しかけていても彼らはまだそんなことを言っているのだろうか。

本当に人間とは愚かな生き物だと痛感する。